Notes/Domino8は開発手法で「ペルソナ法」というのを使って、
よりユーザインターフェースを使いやすくなるように開発したという。
果たして、Notesは使いやすくなったのだろうか。
確かに、操作をしていて便利だなと思う点もある。
特にカレンダーの使いやすさなどはセミナーなどでも強調されている通りだ。
しかし、ふと、考える。
使いやすさって何を基準にしているのだろうと。
もちろん人間工学に基づいて、自然な目の動きや、手の動きに馴染んだものを
提供するというのは一つのものの見方だろう。
すでに記号化されている(もともとは独自のソフトウェアのものであっても、長年、
それを使うことによりすでに一つの記号として認識されているメニュー、アイコンなど)ものを使うことも一つの方法かもしれない。
私の中の疑問は実は使いやすさの大半は「慣れ」なのではないかという見方である。
私の場合、最初はMACユーザだった。
おかげで、フロッピーやCDをゴミ箱に入れようとする癖はなかなか抜けなかったし、
CDを入れたときに画面にアイコンが出てこないWindowsの仕様にいらいらしたりもした。
要するに慣れ親しんだ方法で何とかしようとしてしまう習性が人にはあるのだと思う。
そこで、ソフトウェアを作っている人々全てに聞いてみたい。
カタログで声高に言われている「使いやすさ」はいったい何を基準にしているのかと。
操作の回数が少ない(クリック一発ですむ)なんて分かりやすいといいのだけれど、
実際はそれぞれの感性で使いやすいといっているような気がするのは、私だけでしょうか?
ちなみに、私はNotesの機能で「Escキー」で画面が閉じるのはすごく便利だと思っていて、たまにWindows系のアプリを使っててもつい「Escキー」を押してしまう癖が抜けなかった時期があったな、と回顧してみたりする。