2008年06月16日

■なるほど。AppleとLotusって組み合わせか。

なるほど、と思った。

http://www.alanlepofsky.net/alepofsky/alanblog.nsf/dx/inotes-ultralite

私は個人的にこっちの流れは好きかな。
好きなもの同士がつながってくれたという感じ。
posted by せりあ at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月26日

■やっとこさ、階層表示

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20071126/287839/

○xchangeSeverでユーザを組織名等で階層表示できるというニュースです。
何だかとってもたいそうなことのように宣伝されていますが、
やっと追いついたのか、という感想です(笑)。
方法はどうあれ、Notes/DominoではR4の時代から使われてた機能ですよね。

こんなことがニュースになるところが・・・・な気分。

posted by せりあ at 18:11| Comment(4) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月16日

■みんなの意見は正しい?

ソフトウェアを選択するとき、それがデファクトスタンダードであることが重要という
考え方は少し危険な香りがする。
しかし、そのような考えを持っているエンドユーザは少なくない。

確かに使っている人が多いことでバグがつぶされやすいとか、
教えてくれる人が身近にいるという点においてはデファクトを選ぶ利点がある。
しかし、それが正しいか、という問いに答えるのは難しい。

私だったらデファクトであるかどうかではなく、自分が何をするためにそのソフトウェアを選択するかという点に重きをおくだろう。
デファクトを使っていればずっと使い続けられるような安心感や、
次のシステムへの移行の際の作業が楽なのではないかという幻想に基づいて、
ユーザはデファクトを選択する。
少なくともITの世界ではめまぐるしいスピードで全てが変わり、デファクトがいつまでもその位置を確立し続けることが難しくなっている。

ということはデファクトを選び続けるという選択は、ある意味、考えることを放棄し、いわゆる多数派の意見に常に振り回されるということなのではないかと考える。
そう、デファクトを選択するという決断は本当は何も選択せずに、周りに流されているだけなのではないかと思えるのだ。

確かに『「みんなの意見」は案外正しい』で書かれているように専門家たちが下す判断よりも、普通の人の普通の集団の判断の方が実は賢いケースはあるのかもしれない。

IT業界全体が、みんなの意見に振り回されっぱなしという感じはなくはない。
それがトレンドって考えるのが一般的なのかな?

posted by せりあ at 10:01| Comment(0) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月19日

■Lotus Symphony

「Lotus Symphony」なるものが発表された。

やるとは思っていたけど、本当にやったみたい。
この方向性は面白い。

筋の通った戦略が見えるから。

http://www.atmarkit.co.jp/news/200709/19/lotus.html
posted by せりあ at 22:17| Comment(0) | TrackBack(1) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月14日

■もう一つのクライアント対決

http://japan.cnet.com/news/ent/story/0,2000056022,20356165,00.htm

へぇ、なるほど、という記事。
OfficeでもMSと対決していくんだな〜、Notesってと実感。
独占でなくなり、使いやすく、安くなってくれることが
ユーザにとっては一番いいことなんだと思う。
posted by せりあ at 10:06| Comment(0) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

■メールサーバとしてはコスト高

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20070912/281759/?ST=cio

日経の記事を見つけた。
たしかにメールサーバとしてだけNotes/Dominoを使ったら、
間違いなく他のソフトと比較してコストは高くつくだろうと思う。
確かにメールサーバとしての機能も満たす。
しかし、メールサーバが欲しいのならNotes/Dominoを選択してはならないし、
メールサーバとして機能を比較するのは、もう、何かが違っている気がする。

こういう記事はそういった側面をばっさり切り捨てている気がして、
何か意図を感じる。
posted by せりあ at 10:02| Comment(0) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月27日

■なかったことにする?

海の向こうから新しいNotes/Dominoの話が聞こえてくる。
実物をみるまで何とも言えないな、が私の正直な印象なので、今はへぇ〜、なるほどな〜くらいのレベルで記事を読んでいる。

その中で思想的に気になる機能があった。
誤って送信したメールを削除できるというもの。(もともと日本のベンダーのグループウェアにあった機能らしい。)
情報漏洩等の絡みでユーザからのニーズもあるのかもしれないけれど、私的にはゲームのリセットに似ている気がしてすんなり入ってこない。

確かに情報漏洩は困るし、システムが人間のおかすエラーを回避するということなんだろうけれどそこまでソフトにさせるのか、という疑問と、発言する、発信することの重みを意識しなくなるのではと思うからだ。

間違っちゃったから、なかったことにする的感覚がどうも好きじゃないのかもしれない。

ま、もちろんなかったことにできるのはDominoサーバに入っているメールだけで、インターネットに出てしまったものは諦めるしかない。
たぶん、こういう機能があると、逆に発信したメールは取り消せるものという認識で、エンドユーザにインターネットに出ていったメールも取り消せと言われる予感がする。
むしろ情報漏洩的にはこちらの方が問題は大きい。

一回、口から飛び出した言葉はなかったことにできない、という考え方が常識ではなくなる時代の先駆けなのだろうか?
そんな時代は正直、きてほしくない。

リセットできないものも生きていくなかではいろいろあるのにね。
posted by せりあ at 09:01| Comment(0) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月29日

■年末に向けて

2006年もそろそろ終わろうとしています。

今年は私にとってはNotes/Dominoな世界に少し戻ってきた年だったような。
このブログもはじめたし。
後半になって仕事の忙しさにかまけて更新がおろそかになってしまいました。そういう意味では私の中ではINPUTの時間だったのだと割り切っています。
来年に向けて少しずつOUTPUTしていけたらいいな。
徐々に加速できるようにしたいです。

最近の私のマイブームは「LifeHack」「GTD」と言ったストレスなく、
仕事を楽しく進めましょうというアプローチ。
ちょっとした工夫で生産性をあげたり、無駄をそぎ落としたり、便利なツールを使って毎日の仕事にそれを活かす。
この考え方を実践するのに、Notesってとっても利用価値が高いのでは、と
自分では考えています。
少しずつ自分ではNotesやその他のツールを使って実践しているところなので
みなさんにも紹介していきたいですね。

来年は待ちにまったHannoverが出てきます。
まだまだ実体は見えないけれど、私はとっても期待して、楽しみにしてます。そういう意味では来年になるのが待ち遠しいかな。

今年、ここを訪れてくれたみなさん、ありがとうございました。
そして、また来年もよろしくお願いします。
みなさんにとっても新しい一年が実り多い一年になりますように。
posted by せりあ at 15:52| Comment(2) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月12日

■何が私をここに留まらせるか-続き

私には仕事をする上で大事にしていることがある。
それは相手に信頼してもらえるか、そして信頼できるかという部分。

私の場合、インストラクターだった頃、そしてSEやプロマネとして
Notes/Dominoに関わってきて、いつもいろんな場面で誰かに助けられてきた。
たくさんの失敗もあったし、直接、お客様に迷惑をかけてしまったこともある。
それでも、この世界で仕事をしたいと思ったり、この世界の人と関わっていたいと思うのはここにある人の輪の心地よさがそう思わせたのではないかと思っている。

確かにNotes/Dominoを盲目的に好きでいることは問題があるかもしれない。
だけど他のソフトウェアも扱う中で利点も欠点もある程度分かっている。
そして、私ですらすべての場面でNotesを押している訳ではなく、
場面に応じて、提案を変えていくし、場合によってはNotesを諦める選択をすることもある。

だけどNotes/Domino絡みで一緒に仕事をしていて、この人(会社)とは二度と一緒に仕事をしたくないな、と思う人に出会ったことがないのだ。
不思議とかつて仕事をした仲間はどこかでつながっていて、お互いに助け合っている。
そんなこのプロダクトに集まる人がもう一つの魅力なのだと思う。

こんなことを書くと青いと言われそうですがやっぱり気持ちよく仕事がしたいという気持ちは誰にでもありますよね。
だから、私はここに留まるのでしょう。

Notes/Domino以外のプロダクトを扱うことも最近は増えました。
特に同じような機能があるソフトもたくさんあって、適切な機能を提案してほしいと言われて製品選択に悩んだりします。
なんとか、決めようと、お客様のニーズに合わせて星取表を作ったりしても優劣がつかない時もあります。
そんな時、私は判断の基準にしていることがあります。

その製品の営業が、そして技術者がどのくらいその製品を愛しているかという点です。
その人々は製品のよいところも、悪いところも知りつくして、どのように使うべきか、どのように使ってはいけないかをきちんと理解したうえで惚れ込んでいたりするのです。
その選択でまだ失敗したことがありません。

製品の機能、優劣、先進性は製品を選択する基準の一つなのでしょう。
ただ私はその中にその製品を扱う人というファクターが必要だと思います。

たまたま私は恵まれていただけなのかもしれません。
それでも恵まれたという事実が私の中にあります。
それだけで十分かな、と思う私です。
posted by せりあ at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月08日

■何が私をここに留まらせるか

仕事が忙しくなったのと、体調が芳しくなくてしばらくご無沙汰でした。

師走という季節がら皆さんもばたばたと過ごされてるのではと思います。

11月に『Lotus夜Day』に参加してから、漠然と考えていたことをつらつらと書いてみようと思う。
私はR3と呼ばれる時代からNotesと仕事をしてきた。
今のバージョンしか知らない人々にとっては信じられないほど、機能はチープで不安定だった。
それでもレプリケーションなどの根幹をなす機能のコンセプトはすでに確立したものだった。
回線も細かったあの時代にはあのレプリケーションの概念は素晴らしい発想だと感じた。

新しい時代がやってきてそうしたNotesののコンセプトが古いと言われるようになった。
果たして古いことは悪いことなのだろうか。
この業界にあってこの言葉を投げかけるのは非常に勇気がいるが、その思いは最近の私の一つの命題であったりする。

例えば、アナログの時計はいったいどのくらい昔からあの姿だったのだろうか。
デジタル時計が出てもアナログ時計はなくならない。
そこには時計という機械が持つ洗練された機能美があると感じる。
あの構造、形状、バランスがすでに完成されているからだと思う。
そして完成された機能は百年単位で変わらずそこに存在する。
時計だけでなく世の中にはそんな素敵なツールたちがたくさんある。
そう完成されたものは変わるあえて新しくなる必要はないのだ。

そういう意味ではソフトウェアはまだまだ未完成なのだろう。
だからといって全てが時流に乗って新しくなる必要はない。
素晴らしいコンセプトであれば捨てる必要はないと思う。

ソフトウェアは進化する。
確かに便利になった側面もあるけれど、全てが必要な進化なのかと疑問を感じるのだ。

Notesには変わらないコンセプトがある。
そしてそれがちゃんと受け継がれている。
それが好きな人も嫌いな人もいるだろう。
流行りのものが素晴らしいと感じるひともいるだろう。
それは置かれてる立場にもよるし、様々な思惑もあるだろう。

ただ、それが私がここに留まる理由の一つのだろうと感じている。

そして、もう一つは、



……続く。
posted by せりあ at 08:54| Comment(5) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月08日

■システムを設計すること

Notes/Dominoの世界で大規模なシステムの設計ができる人を探すことが難しくなった。
ちょっとアクロバティックな移行作業をやろうとすると引き受けてくれる会社を探すことも困難だ。

どんなシステムでも最初の設計思想が大事で、日々の運用を考えたシステム構成や設定を定義しておく必要がある。
土台をしっかり作っておくべきなのだ。

しかし、Notesが一番、勢いを持っていた頃、スキルのないSEが構築してなにも考えてないシステムに、プラットフォームや運用に与える影響を考えずに作られたノーツらしくないアプリケーションが動いている例は数限りなく存在する。
思想のないシステムだ。
システムトラブルが絶え間なく起こる原因のひとつはこういう設計思想がミドルウェアに必要だと理解していない担当者が多いからじゃないかと思う。

Notes/Dominoの世界で言っても、命名規約から始まって、サーバーの基本設定、グループの運用ルールに複製のタイミング、システムメンテナンスの定期実行、クライアントコントロールのためのポリシー検討やアプリケーション運用のための規約やら考えるべきことは山のようにある。
確かにインストールも設定も難しくはないけれど、ただデフォルトの設定で環境構築をすることをシステム構築とは呼んで欲しくないと思う気持ちがある。

美しいシステム設計はある意味でアートだと思う。

整然と構築されたシステムを見ると何だかホッとするのも事実。
逆にどっから手をつけていいか分からないほどひどいシステムには技術者魂に火をつけられる。
何とかして落ち着けてやろうと思う。

だけど残念ながらそれができる人をアサインするのが難しくなった。
何とか開発者は見つけられても、大規模システムの設計、移行がこなせる人が見つからない。

便利な機能も使いやすくなった管理ツールも土台を作れないシステムでは威力を発揮しない。

腕に自信のある人、募集中です。
posted by せりあ at 09:19| Comment(2) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月02日

■何のための仕組み?

聞いた話によれば、大規模でグループウェアの導入をしている顧客では必ずどんなソフトウェアを導入しても、数年で飽きて、新しいソフトウェアにしたいと言い出す傾向があるらしい。

ころころ仕組みを変えて今度は上手く行くはずと思うと言う。
ある意味、ソフトウェアベンダーの思うつぼだと私は思う。
本当にそれが回答なのだろうかと疑問に思うケースが多い。

問題点を明確にせず、ただ漠然と今のシステムを変えたいという現実はある意味で思考停止状態ではないかと私は思う。

当たり前のようにグループウェアというツールが手に入る時代になり、それがいったい何のためのツールなのかを忘れているのではないかとすら思える。

大金を手放す前にもう一度考えて欲しい。
そのシステムは誰のためのものですか?
何の為のものですか?


求めている結果は何ですか?

会社の仕組みの問題はたいていの場合、システムの導入だけでは解決しません。
本当の目的はなんでしょうか?


その答えと目標を持っている組織なら成功に近づけるのでしょう。
しつこいくらいにいいたいことはソフトウェアはつねにツールでしかないこと。

かつての偉人の言葉を思い出す。
『弘法 筆を選ばず』だっけ?
posted by せりあ at 08:49| Comment(2) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月21日

■未来のシステム

提案書をかいていますが、とても苦労しています。
なにせ再来年に動くものを提案しているのです。業務系ならまだしも、情報系のインフラでは、一年もしたら、トレンドが変わります。
選択しているものが正しいかの判断は予言めいたものになることもあるのです。

ましてやNotes/Dominoのその時の姿なんて、きっと今、開発者にしかわからないだろう。
そんな霞のような、夢のようなものに脳みそを使っている今日このごろ。
せめてβ版でもでてくれれば、使い倒してでも、リアルなイメージをえがけるのに。
posted by せりあ at 08:56| Comment(4) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月11日

■技術者支援

■技術者支援

Notes/Domino技術者確保のためには、
こういうのをやってほしいな、と思う。
その辺がこの会社の上手いところかな。

人を育てることはどんなときでも重要なファクターになるよね。
posted by せりあ at 16:14| Comment(2) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月05日

■適性

私の所属する会社はハードウェアベンダーであり、ソフトウェアベンダーであり、そしてSIerである。
そして、私は今、SIerとして顧客と接している。

だから、自社の製品でなくても、顧客のニーズにあって、自分が安心して勧められる商品なら顧客に紹介するし、導入のサポートもする。

顧客に夢を見せるだけ見せて、ソフトウェアを売りつけ、面倒なことは運用する側に押しつけようとする人々もいる。
そして人は夢に騙されやすい。
悔しいけれど、これが現実。

ソフトウェアはただの道具にすぎない。
どんなソフトウェアを導入するかではなく、自らの業務をどう変えるアプローチをするのか、と考えて欲しいと顧客に願うのは間違いなのだろうかと疑問が涌いてくる。

どこかでそんなに騙されたいのなら、一度だまされればいい、と思う私もいる。

これを読んでくださっているユーザー企業のみなさま、ぜひ、『全体最適』の視点を持ってください。
目に見えないソフトウェアの素晴らしそうな機能を鵜呑みにしないでください。
売り上げのために良心を切り売りするベンダーを見極めてください。


そんなことを思う朝。

ノーツの話なんだけど、そうでもない話。
posted by せりあ at 08:54| Comment(2) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月20日

■発想力

ノーツと直接は関係ないけど、ちょっと関係のあるお話。

システムを構築したり、アプリケーションを開発したりするのに、
欠かせない力は発想力だと私は思っている。
ピンチにアイデアを思いつくことはとっても大事で、
それは普段の経験からくるものもあれば、日常の中でいろんなことを考ることでその手助けになるのではないかと思っている。

■アイディアを出し合うということ

でMurakamiさんが書いているように、一見、くだらなそうな発想でも、
今の不便さを解消するためにこんなことがあったらいいよなぁという思いから出ているもので、どこかで役に立つのだと思う。
私も日常の中で、そういった面白そうなネタを探すのが好きだ。

ちなみに、今のところ、こんなのあったらいいなは3つくらいある。

■登録番号転送機能(携帯→固定電話)
■カメレオン修正液
■花の名前が知りたいとき

一つ目のやつはすでに特許が取られていたし、
ほかの二つはまだまだ実現方法がまったく、検討もつかないけれど、
そんなことを考えている時間はとっても楽しかったりもする。
こんな風に脳を活性化させることで普段の仕事にも発想力は生きてくるんじゃないかと思っている。
ただでさえ、ほんの少ししか使ってない脳みそ。
もっともっと使ってあげたいと思いませんか?

ちなみに私の脳内年齢は20代半ばです(笑)。
posted by せりあ at 01:18| Comment(0) | TrackBack(1) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月12日

■Google恐るべし

エンタープライズサーチカンファレンスに行った。
いろいろ感銘を受けたことはあるのだけれど、ショックなことを一つ。
Googleでこんなことができるとは。

Google1.JPG

なぜ、ショックだったかって?
こんなふざけたことができるのはNotesだけだと思ってたから。
しかも敵は上手だった。

Google2.JPG


え?知らなかったのは私だけ?
負けるな「SF9プロジェクト」と心の中でつぶやいてしまいました。>茶坊主くん
posted by せりあ at 18:23| Comment(3) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月08日

■先入観

先入観はなるべく持たないようにしようと思っているが、時々、知らず知らずのうちに先入観に支配されていることがある。

私にとってのそれは『ワークスペース』。
どうしてもずっとその文化に浸かって来たので『Welcomeページ』を使おうという気持ちにならなかった。

お客様にポータルをやりたいと言われ、紹介のために少しいじり倒していた。
あれ、もしかしてちょっと便利かも。
え〜、こんなことできるの。
だったらこんなのできるかな、と面白くなりだした。
いわゆるハマったってやつ。

先入観はよくないね、というお話し。
でもついつい定食屋でいつものメニューを頼むように、なじんだ習性を変えるのは難しい。

新しいメニューはとっても刺激的。
posted by せりあ at 08:39| Comment(2) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月07日

■小休止-学習について

私は小さなころから何かを知るということに興味を持っていた。
勉強をする事が嫌いじゃなかったのだと思う。
学校の成績に反映しなかったのは、広くまんべんなく興味を持てなかったから。自分が興味を持ったことだけに力を注いだ結果、成績は極端なものだったのだ。

今、学習をする人々は幸せでもあり、不幸でもあるかと最近は感じるようになった。
インターネットの普及や検索エンジンのお陰で良くも悪くもすぐに知りたいことを知ることができてしまうから。
仕事で言えばこれは非常に効率的でありがたいこと。
でも学習にとっては発想が広がらなかったり、知識が点になる結果につながっているのではないかと感じている。

自分が学生だった頃、論文を書くために図書館で本を選び、本を読み、探している情報にたどり着く道のりは、今と違って障害だらけ。
読んでみたら内容が期待していたものでなかったり、借りたい本を手に入れるために図書館をはしごしたりした。
引用したいことがその本の一部でも、隅から隅まで読んだ。
一見、無駄に見える作業。
でもこのアプローチでは知りたいことの周辺の情報も含めて会得することができ、さらに疑問を持ったり、新しい事実に気づくきっかけになるのではと思う。
そういう学習の積み重ねが幅広く深い知識の源になっているのだと思う。


いわゆるIT業界はイノベーションのスピードが早い。
どうしても結果を早く出したいという気持ちもあるだろう。
だから点で知識を得ることを知らず知らずのうちに選択をしているような気がするのだ。
そしてその点に基づいて行動することがチェンジニアが増えた一因かもしれないと漠然と感じている。
やっぱりじっくり学ぶ時間というのは必要で、それはエンジニアにとって必須なのだろう。

あるものの本質をとらえ、理解し、知識をまとめて、仮説を立て、検証し、結果を元に新しい事実を自分のものにする。そんな学習方法を学ぶチャンスがない人々が増えたのかもしれない。

この年になってからの学習は記憶の低下を伴っていて、困難なのだけれどそれでも毎日、一つでも新しいことを知りたいという気持ちは今も持ち続けている。
学習することの難点は知識の幅を広げていくとどんどん自分が知らないことに気づき、また知りたいことが増えることくらい。
時間がどれだけあっても足らない気がしてしまう。
一日48時間くらいあったらいいのにと思ったりもする。
まだまだ私の好奇心がなくなることはないみたい。


今日はだいぶノーツの話から遠ざかりましたが、岩間さんの記事にinspireされて書いてみました。
posted by せりあ at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月05日

■Notes/Dominoを学ばない訳

教育のテーマでもう一つ書いてみようと思う。

新しい技術を身につけようとした時にNotes/Dominoを選択することはまずないのだろう。
やはりNotes/Dominoに関する将来性を不安に思うエンジニアがそれを選択しないからだと思う。
これは如何ともしがたい理由だ。
なかなか相手を説得するのも難しい。
そして、もう一つの理由は壁が高い(覚えることが多い)、または異質なソフトウェアだと感じるからだろう。

私自身もノーツばりばりのエンジニアでいたころ、よく、「どうせノーツしかわからないんでしょ」とよく言われた。
それはある意味、侮蔑の意味を含んでいたのだと思う。

Dominoサーバは当然OSの上で稼働するし、標準的なInternetプロトコルをサポートしているし、データベースとの直接的なやりとりもできる。それを自由に使いこなすためには当然、その機能のベースを理解していなければならない。
そして開発に目を向けても、@関数、LotusScript、HTML、Java、JavaScriptとさまざまな言語で機能を作り込むことができる。
@関数の特殊性をのぞけばLotusScriptなんてVBそっくりだし、もともとの開発者はそれほど抵抗なく入っていけるだろう。
捉え方によってはNotes/Dominoのスキルがあるということはある意味幅広い知識をもっていることなのではないか?

確かに幅広い知識が必要ではあるが、Notes/Dominoのそれぞれの機能を部分として考え、業界標準に準拠した機能(インターネット、JAVAなど)をそぎ落として考えると、学ばなければならないNotes/Domino独自の部分というのは非常に少ないのではないかと私は感じている。

そしてそのノーツ独自の部分がWindowsとも似ていない、WWWシステムとも似ていない部分があり、理解を妨げているのかもしれない。
そして、知らないがゆえに相手が大きく見えてしまう現象なのではないかとも捉えることができる。

かつて私が教えた受講生たちもそういう潜入感をもってしまい、大変なんだと思い込んでいる人々もいた。「とても難しい」と思っても、実際に勉強する対象を分析して詳細を知るとたいしたことないケースがある。
知らないということは難しさの度合いも判定できないからだ。


このように角度を変えてみれば、この難解なソフトウェアも少しは簡単に思えてこないかな?
見えてきた人はぜひNotes/Dominoにも挑戦してみてください。

私はノーツがよちよち歩きのころから接してきたので、たぶん、分かりにくさの度合いに鈍感なのかもしれない。
つきあいが長くなれば多少、言葉少なくても理解できる人間関係のように。

もし、みなさんがNotes/Dominoのこんなところが分かりにくいと思っているのであれば、ぜひ、ご意見を聞かせてください。
近すぎるものって見えにくいので。
posted by せりあ at 19:11| Comment(7) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。