2007年03月08日

■LotusSpringForumでの全体的な感想

LotusSpringForumに参加した。
主目的はNotes/Domino8がどんな風になってきているか、を知るためだったのですが、
今回はNotes/Dominoを取りまく新製品が紹介されていて、そちらもちょっと興味をそそりました。
技術的な部分は茶坊主くんに任せて(笑)、私は自分が感じたことを書こうと思います。

紹介された製品は技術面から見ると目新しいものはありませんでした。
例えばFrickrはDomino.DocとQuickPlaceのいいとこどりのような製品だし、
ConnectionsはかつてLotusDiscoveryServerが目指していた世界を拡張し、
さらに最近の流行のSNSやソーシャルブックマークを包含したパッケージみたいだし。
世界中で無料で提供されているようなサービスをビジネスとして活用するために、
そっくりパッケージにしました、というあたりはIBMらしいとも思ったけれど。

いろいろな話を聞きながら私はふっと技術とは違うことに興味を持ち始めた。
このセッションで私たちに新しい技術を説明したいというよりは、
自分の仕事のやり方を変える提案をされているのではないかということを感じていた。
技術屋の視点はとかくソフトウェアの機能に向かう傾向にある。
新しいクライアントの機能や開発ツールの機能を見ながら、これがあれば、
何ができるな、とか、こういうアプリを開発するのが楽になるな、とか。
だけれど、もう、私はそういうことを考えるポジションでなくなってきたのかもしれない。

これらのツールをどんな風に使えばビジネスの効率は上がるのだろうかと考えていた。
そう、自分の仕事の仕方はどんな風にかわるのだろうか、と。
スピードは上がるのか、生産性はあがるのか、探し物は楽になるのか、など。

紹介されたコラボレーションツールは会社のビジネスのプロセスを大きく変えるというよりは個人の持っている能力を最大限に引き出して、それを他の社員が活用することにより仕事を効率化しようという発想だ。
かつては組織の意向に応じて、一箇所に情報を集めて活用しようとしていたものを(グループウェアなどの発想)、情報を集約することを強制するのではなく、個人がそれぞれ勝手にアウトプットした(しかも自分のためだったりする)情報を探しやすくしてナレッジを再活用しようというアイディアではないかと思う。

さて、アイディアを形にしてユーザに使ってもらうために、
これらのツールをどんな風に使っていくか、じっくり考えてみよう。
posted by せりあ at 18:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月01日

■グループウェアという言葉は死んだのか?

基本的に私はネットの世界が好きだ。
新しいツールとか、コミュニティにわくわくするタイプ。
もちろんSNSも使ってるし、Googleも使い倒したり、
はやりのWEB系の無料サービスサイトのアカウントはたくさん持っている(笑)。
ユーザとしてぶつぶつと文句言いながら、楽しく使っている。
遊びで使う分には多少の不具合は許容できる。
そんな風にユーザと一緒にサービスが進化していく時代になったのかもしれない。進化の過程でやっぱり生き残れないサービスがあったりするのも面白いと思う。
ただ、時として言葉の定義はすごくあいまいでイメージとして捉えにくいこともある。

たとえばSaaS。
ASPとどう違うの?と思う。
よくよく調べていくと基本的なコンセプトは同じ。
例えば売れなくなったお菓子の包装を変えてよさそうに見せてるみたいな感じ。
それと同じように最近、ポータルやEIPという表現がグループウェアの意味を含んで語られているような気がしている。
そしてグループウェアという言葉は見なくなってきた。
言葉自体が古臭い感じがするのと、情報共有がもはやグループという単位ではなくなってきたことに起因しているのかと思い始めている。

そしてNotes/Dominoはグループウェアから進化してどこへ行こうとしているのだろうか。

posted by せりあ at 20:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

■Lotus Spring Forum2007

明日はLotusSpringForum2007に参加予定です。
もちろん夜の分も参加です。

このままいくと自分がこのNotes/Domino8のシステム導入の
プロジェクトに携わりそうな感じなので、まじめに勉強予定です。

会場でばったり会ったら声をかけてください。
・・・って私が誰か分かる人のみですが(笑)。
posted by せりあ at 20:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 仲間たち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月27日

■サーバーの削除

Notes/Dominoシステムからサーバを削除するとき、どのような手順をとっていますか。
私はシステム管理プロセスを使って「サーバー削除」をするものだと信じていたのですが、
意外とこの機能を知らない運用担当者が多いと聞いてびっくりしました。

サーバー文書の削除、関連するグループからの削除、ドミノディレクトリにエントリされている
サーバ名、そしてデータベースのACL。
これらを手動で変更しようなんて、クレイジーだと私は思ったのだけれど、そうでもないらしい。

というのも、小規模のシステムではあまり作業が発生しないので、
あえてシステム管理プロセスを使わず、文書を手動でなおしたり、
削除するケースが多いとのこと。
システム管理プロセスが上手く動かないのであまり使いたくないという意見もある。
確かにシステム管理プロセスが出たてのころは本当に怪しくて、
自分の作ったプログラムの方が、信用できると思ったけれど、
少なくとも最近のバージョンでは基本の機能は安定していると感じていた。

実際にはそうじゃないのかな?とこの話を聞いて思ったりして。

私はどちらでメンバーに作業を推奨しようか、検討中です(笑)。
posted by せりあ at 19:23| Comment(2) | TrackBack(0) | Notes/Dominoな仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

■なかったことにする?

海の向こうから新しいNotes/Dominoの話が聞こえてくる。
実物をみるまで何とも言えないな、が私の正直な印象なので、今はへぇ〜、なるほどな〜くらいのレベルで記事を読んでいる。

その中で思想的に気になる機能があった。
誤って送信したメールを削除できるというもの。(もともと日本のベンダーのグループウェアにあった機能らしい。)
情報漏洩等の絡みでユーザからのニーズもあるのかもしれないけれど、私的にはゲームのリセットに似ている気がしてすんなり入ってこない。

確かに情報漏洩は困るし、システムが人間のおかすエラーを回避するということなんだろうけれどそこまでソフトにさせるのか、という疑問と、発言する、発信することの重みを意識しなくなるのではと思うからだ。

間違っちゃったから、なかったことにする的感覚がどうも好きじゃないのかもしれない。

ま、もちろんなかったことにできるのはDominoサーバに入っているメールだけで、インターネットに出てしまったものは諦めるしかない。
たぶん、こういう機能があると、逆に発信したメールは取り消せるものという認識で、エンドユーザにインターネットに出ていったメールも取り消せと言われる予感がする。
むしろ情報漏洩的にはこちらの方が問題は大きい。

一回、口から飛び出した言葉はなかったことにできない、という考え方が常識ではなくなる時代の先駆けなのだろうか?
そんな時代は正直、きてほしくない。

リセットできないものも生きていくなかではいろいろあるのにね。
posted by せりあ at 09:01| Comment(0) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月29日

■年末に向けて

2006年もそろそろ終わろうとしています。

今年は私にとってはNotes/Dominoな世界に少し戻ってきた年だったような。
このブログもはじめたし。
後半になって仕事の忙しさにかまけて更新がおろそかになってしまいました。そういう意味では私の中ではINPUTの時間だったのだと割り切っています。
来年に向けて少しずつOUTPUTしていけたらいいな。
徐々に加速できるようにしたいです。

最近の私のマイブームは「LifeHack」「GTD」と言ったストレスなく、
仕事を楽しく進めましょうというアプローチ。
ちょっとした工夫で生産性をあげたり、無駄をそぎ落としたり、便利なツールを使って毎日の仕事にそれを活かす。
この考え方を実践するのに、Notesってとっても利用価値が高いのでは、と
自分では考えています。
少しずつ自分ではNotesやその他のツールを使って実践しているところなので
みなさんにも紹介していきたいですね。

来年は待ちにまったHannoverが出てきます。
まだまだ実体は見えないけれど、私はとっても期待して、楽しみにしてます。そういう意味では来年になるのが待ち遠しいかな。

今年、ここを訪れてくれたみなさん、ありがとうございました。
そして、また来年もよろしくお願いします。
みなさんにとっても新しい一年が実り多い一年になりますように。
posted by せりあ at 15:52| Comment(2) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月12日

■何が私をここに留まらせるか-続き

私には仕事をする上で大事にしていることがある。
それは相手に信頼してもらえるか、そして信頼できるかという部分。

私の場合、インストラクターだった頃、そしてSEやプロマネとして
Notes/Dominoに関わってきて、いつもいろんな場面で誰かに助けられてきた。
たくさんの失敗もあったし、直接、お客様に迷惑をかけてしまったこともある。
それでも、この世界で仕事をしたいと思ったり、この世界の人と関わっていたいと思うのはここにある人の輪の心地よさがそう思わせたのではないかと思っている。

確かにNotes/Dominoを盲目的に好きでいることは問題があるかもしれない。
だけど他のソフトウェアも扱う中で利点も欠点もある程度分かっている。
そして、私ですらすべての場面でNotesを押している訳ではなく、
場面に応じて、提案を変えていくし、場合によってはNotesを諦める選択をすることもある。

だけどNotes/Domino絡みで一緒に仕事をしていて、この人(会社)とは二度と一緒に仕事をしたくないな、と思う人に出会ったことがないのだ。
不思議とかつて仕事をした仲間はどこかでつながっていて、お互いに助け合っている。
そんなこのプロダクトに集まる人がもう一つの魅力なのだと思う。

こんなことを書くと青いと言われそうですがやっぱり気持ちよく仕事がしたいという気持ちは誰にでもありますよね。
だから、私はここに留まるのでしょう。

Notes/Domino以外のプロダクトを扱うことも最近は増えました。
特に同じような機能があるソフトもたくさんあって、適切な機能を提案してほしいと言われて製品選択に悩んだりします。
なんとか、決めようと、お客様のニーズに合わせて星取表を作ったりしても優劣がつかない時もあります。
そんな時、私は判断の基準にしていることがあります。

その製品の営業が、そして技術者がどのくらいその製品を愛しているかという点です。
その人々は製品のよいところも、悪いところも知りつくして、どのように使うべきか、どのように使ってはいけないかをきちんと理解したうえで惚れ込んでいたりするのです。
その選択でまだ失敗したことがありません。

製品の機能、優劣、先進性は製品を選択する基準の一つなのでしょう。
ただ私はその中にその製品を扱う人というファクターが必要だと思います。

たまたま私は恵まれていただけなのかもしれません。
それでも恵まれたという事実が私の中にあります。
それだけで十分かな、と思う私です。
posted by せりあ at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

■専用クライアント

確かにNotesクライアントは専用クライアントかもしれない。
ただのPOPクライアントとしても使えるけれど、
そんなふうに使っている人はいないかもしれない(笑)。

だから、だめなんだよね、みたいに言われながらふと思う。
ExchangeにとってのOutlookクライアントだって、
MOSSにとってのOfficeだって、専用クライアントだと思うのは、
私だけなんだろうか?

なぜか普段使っているからという理由で専用クライアントという意識が薄れるのかしら?

感じるのはそれぞれだけれど、納得の行かない気分。
posted by せりあ at 19:53| Comment(2) | TrackBack(0) | Notes/Dominoな仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月08日

■何が私をここに留まらせるか

仕事が忙しくなったのと、体調が芳しくなくてしばらくご無沙汰でした。

師走という季節がら皆さんもばたばたと過ごされてるのではと思います。

11月に『Lotus夜Day』に参加してから、漠然と考えていたことをつらつらと書いてみようと思う。
私はR3と呼ばれる時代からNotesと仕事をしてきた。
今のバージョンしか知らない人々にとっては信じられないほど、機能はチープで不安定だった。
それでもレプリケーションなどの根幹をなす機能のコンセプトはすでに確立したものだった。
回線も細かったあの時代にはあのレプリケーションの概念は素晴らしい発想だと感じた。

新しい時代がやってきてそうしたNotesののコンセプトが古いと言われるようになった。
果たして古いことは悪いことなのだろうか。
この業界にあってこの言葉を投げかけるのは非常に勇気がいるが、その思いは最近の私の一つの命題であったりする。

例えば、アナログの時計はいったいどのくらい昔からあの姿だったのだろうか。
デジタル時計が出てもアナログ時計はなくならない。
そこには時計という機械が持つ洗練された機能美があると感じる。
あの構造、形状、バランスがすでに完成されているからだと思う。
そして完成された機能は百年単位で変わらずそこに存在する。
時計だけでなく世の中にはそんな素敵なツールたちがたくさんある。
そう完成されたものは変わるあえて新しくなる必要はないのだ。

そういう意味ではソフトウェアはまだまだ未完成なのだろう。
だからといって全てが時流に乗って新しくなる必要はない。
素晴らしいコンセプトであれば捨てる必要はないと思う。

ソフトウェアは進化する。
確かに便利になった側面もあるけれど、全てが必要な進化なのかと疑問を感じるのだ。

Notesには変わらないコンセプトがある。
そしてそれがちゃんと受け継がれている。
それが好きな人も嫌いな人もいるだろう。
流行りのものが素晴らしいと感じるひともいるだろう。
それは置かれてる立場にもよるし、様々な思惑もあるだろう。

ただ、それが私がここに留まる理由の一つのだろうと感じている。

そして、もう一つは、



……続く。
posted by せりあ at 08:54| Comment(5) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月08日

■システムを設計すること

Notes/Dominoの世界で大規模なシステムの設計ができる人を探すことが難しくなった。
ちょっとアクロバティックな移行作業をやろうとすると引き受けてくれる会社を探すことも困難だ。

どんなシステムでも最初の設計思想が大事で、日々の運用を考えたシステム構成や設定を定義しておく必要がある。
土台をしっかり作っておくべきなのだ。

しかし、Notesが一番、勢いを持っていた頃、スキルのないSEが構築してなにも考えてないシステムに、プラットフォームや運用に与える影響を考えずに作られたノーツらしくないアプリケーションが動いている例は数限りなく存在する。
思想のないシステムだ。
システムトラブルが絶え間なく起こる原因のひとつはこういう設計思想がミドルウェアに必要だと理解していない担当者が多いからじゃないかと思う。

Notes/Dominoの世界で言っても、命名規約から始まって、サーバーの基本設定、グループの運用ルールに複製のタイミング、システムメンテナンスの定期実行、クライアントコントロールのためのポリシー検討やアプリケーション運用のための規約やら考えるべきことは山のようにある。
確かにインストールも設定も難しくはないけれど、ただデフォルトの設定で環境構築をすることをシステム構築とは呼んで欲しくないと思う気持ちがある。

美しいシステム設計はある意味でアートだと思う。

整然と構築されたシステムを見ると何だかホッとするのも事実。
逆にどっから手をつけていいか分からないほどひどいシステムには技術者魂に火をつけられる。
何とかして落ち着けてやろうと思う。

だけど残念ながらそれができる人をアサインするのが難しくなった。
何とか開発者は見つけられても、大規模システムの設計、移行がこなせる人が見つからない。

便利な機能も使いやすくなった管理ツールも土台を作れないシステムでは威力を発揮しない。

腕に自信のある人、募集中です。
posted by せりあ at 09:19| Comment(2) | TrackBack(0) | MISC | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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